バルバ火山を登る

Barvaは首都サンホセの北方に見える標高2900メートルの火山だが、いつ噴火したかの記録は ない。
コスタリカの南北を走る中央山脈の ちょうど中央に位置し、Braulio Carrillo(ブラウリオ カリーヨ)国立公園の中にある。  サンホセの町からバスで一時間ほどいくと 標高2000メートルの高原の小村 サクラメントに着き、 そこからはかなりきつい山道を徒歩で登る。
人里から近いのに登山道の途中で ケッツァルを目にしたのは驚きであった。



  コスタリカの昆虫 insect

地球に棲む動物は約100万種と言われるが、中でも昆虫類は75万種もおり、植物の30万種よりも多いというから驚きである。 コスタリカでは今までに3万5千種の昆虫が発見されているが、毎年新種がでており果たしてどれくらいの種数がいるものやら 見当がつかない。
大きく分類すると有翅類と無翅類に分かれ、極小の世界で繰り広げられる生存競争と種保存の戦いは 千差万別で峻烈でもある。


  Pan de Azucar
     パン デ アスカル ビーチ 

Guanacaste(グアナカステ)県は観光ブームで開発が進み、その分本来の自然が失われつつあるが、 パン デ アスカルPan de Azucar ビーチは 観光の中心地からやや外れているせいで、比較的自然 が温存されているように見受けられた。しかしながら高級別荘地開発のために道路も整備され始 めているので、同じ運命をたどるのではないかと予想される。 沖合いにぽっかりと巌島が浮かんでいるので、リオ デ ジャネイロの Pao de Acucarがその名の由来 ではないかと思われる。 


  Braulio Carrillo 国立公園

サンホセ市からハイウェーに入り カリブ海方面へ向かう。海抜1600mの峠を越えてから山を下り海抜500mほどのところに《ブラウリオ カリーヨ国立公園》の入り口がある。 皆で動く篭に乗ってジャングルを見て回ったところよりやや高く、サンホセ寄 りのところにある。 気温は30度近い。 1978年開園、広さは約476平方キロ。
園内には Barvaバルバ火山(2,906m)や、Cacho Negro カッチョネグロ火山(2,150m)がある。


  クロコダイルも棲む
         タルコレス河 

Nicoya湾の大部分はPuntarenas県に属し、Tempisque大河の河口部分のみ Guanacaste県に属する。
Tempisque大河のほかTarcoles河の水もこの湾に注ぐ。 湾にはChira島、San Lucas島、Venado島、Caballo島などが浮かび、大変風光明媚である。 沿岸と島にはマングローブが茂っているため、漁業資源にも恵まれている。 また、多くの水鳥が棲んでいて目を楽しませてくれる。最近、農業及び観光開発が進み、この美しい湾でも 海の汚染による魚類と鳥類への影響が出始めている。


  Cariariゴルフ場のアルマジロ

 Armadillo アルマディーヨ  俗名:Cusuco クスコ
       (日本名:アルマジロ 「亜留魔次郎」)
 Armadillo はスペイン語で「鎧を着た小さなもの」という意味。 これは15cmぐらいの赤ちゃん(尻尾をいれると20〜25cm)大人になると体重は3〜7kgになる。
土中に穴を掘って棲む。嗅覚と聴覚は鋭いが視覚は弱い。夜行性。哺乳類:貧歯目:アルマジロ科。
貧歯目にはセンザンコウ、ナマケモノ、アリクイなど。
貧歯目:歯は全くないか あっても不完全なため、昆虫 やミミズ、卵、キノコなどの 柔らかなものを好んで食べる。背面は堅い甲殻で覆われており、前足は丈夫な爪を持つ。


  Nauyacaナウヤカの滝

 コスタリカには26の国立公園のほかに130以上の自然保護区(熱帯雨林、森林、湿地帯、マングローブ、など)があり、 その大部分は財団や基金や個人が所有する私有地である。
国が農牧地などを森林や自然緑地帯に転換することを奨励しており、補助金もでる。また世界中の様々な自然保護団体からの援助金も支給される。
こういった明確な国の政策ならびに関係機関と有志の努力によって、10〜15年前には国土の20%近くまで落ち込んでいた 熱帯雨林などの自然緑地帯が25%以上まで回復し、今後更に増えるものと予想される。
コスタリカが環境先進国といわれる所以である。


  ニカラグアの田舎の人々と生活

 ニカラグアは中米5カ国のなかでは一番大きく古い歴史もあるが、経済的には最も貧しい国でもある。
それも、かっては海賊やアメリカのならず者に凌辱され、20世紀に入ると かの悪名高き独裁者Somoza一族に 搾取され尽くされ、1979年にその独裁政権を左翼革命によって打倒したものの、その後を継いだ親キューバ政権の 極左的でポピュリスト的な政策のために資本逃避と投資の減退を招いたことが元凶といえる。 横暴で非民主的な政治に国民が犠牲になった好例といえるが、それにもかかわらず人々は素朴で明るく楽天的で、未知の来訪者に親切でホスピタリティーであることでも有名である。


巨大赤葉のブロメリア 
   Alcantarea imperialis 

日本では皇帝アナナスと呼ばれている葉がワインカラーの巨大なAlcantarea imperialisは コスタリカには沢山地植えされているが 花をつけた株を見たことがない。 植物図鑑には7〜8年に一度咲くと書いてはあるのだが。 温度や湿度、太陽光線などもろもろの条件がぴったり合って初めて開花するようで、今回初めて目にしたときは 目から鱗が 落ちるごとき心地がしたものだ。  このワインカラーのブロメリアは もともとはアマゾンの奥地に自生していたが、観賞用に伐採されつくして、今や自然林では消滅してしまった。  このように人間の限りない物質欲から生物の種を絶滅に追いやる例は枚挙に暇がない。


  コスタリカの “国の木”はグアナカステ
    “国花”はグアリアモラーダ

先住民がこの木をコアナカステと呼んでいたので、この木が茂っていた地方をグアナカステ県と命名した。 現在この県のある地方はもともとはニカラグアに属していたが、国境紛争が絶えなかったので 1824年に住民投票を行い、住民がコスタリカに属することを選択した、いわばいわくつきの県である。 Guanacasteはコスタリカの国の木で、グアナカステ地方などの乾燥地に多く生えていた木だが、 農牧業開発のために伐採が進んでこの樹木の数が少なくなったので、今は伐採が禁止されている。 ニカラグアにも多い木だったが、乱伐のために見かけることは稀になった。


アステカ帝国を征服した 
   CortezMalincheのおはなし..... 

遠い昔、日本は室町幕府時代で、初めて鉄砲がポルトガルから伝来した1543年よりも24年前のこと。 スペイン人Hernan Cortez(エルナン コルテス)はメキシコ征服のため当時滞留していたキューバで 船隊を組んで出発、メキシコで得た女奴隷のアステカ人Malincheがアステカとマヤとスペインの言葉が 分かるのに目を付け、メキシコ征服のための通訳として使った。  その後MalincheはCortezの愛人となり一児をもうけた。
征服者Cortezは巧妙な策略と謀略を用い、当時の強大なアステカ帝国を破壊し征服したので、 Malincheは先住民の間では裏切り者として憎まれたという。


  グアテマラの通貨は “ケッツァル”
  地名:ケサルテペケやケッツァルテナンゴ

もともとはメキシコ南部からパナマ西部にかけてたくさん棲んでいた鳥だが、乱獲と森林伐採のために今ではコスタリカ、 パナマ、ガテマラの一部に密かに生存する絶滅の危機に瀕した鳥である。 またメキシコにあるアステカ帝国最大の遺跡テオティウアカンのピラミッドには 蛇が Quetzalケツァールの羽根をまとった神 ケッツァルコアトルが多数鎮座している。 
標高1200m〜3000mの高地のブロメリアや、好物のアグアカティーヨなどが生い茂った高湿度の森林に棲み、昆虫、カエル、トカゲ、蛇なども食べ、高い木の小さい孔に巣をつくる。


ニカラグア湖の
      イスレタを巡る

ニカラグア湖は何百万年も前の太古の時代には海であったのが、大地の隆起によって淡水湖に変わったので、世界で 唯一の淡水鮫が棲む湖である。
この広大なニカラグア湖にはおよそ二万年前の大噴火で噴きあがった岩石や溶岩で 出来た Isletasイスレタと呼ばれる400以上の小島群がある。
湖の東にはMombacho火山があり、湖の中にはOmetepeオメテペ島、Solentinameソレンティナメ群島、Zapateraサパテラ島など大きな島も あり、十六世紀にスペインから征服者がやってくるまではNahuatlナウアット系の民族(メキシコのアステカ民族と同族)の文化が栄えていた。


  ニカラグアの町 
    レオン市 

ニカラグアの太平洋側にあるLeonの町は Granadaと並ぶ古い町で、市民の誇りであるカトリック教会の伽藍は1706〜1740年の長きにわたって建てられ、中米では最も大きいとされる。
進歩党の拠点であるLeon市と 保守党の拠点Granadaとは 長年にわたりライバル関係にあり、ニカラグアの首都の争奪戦をくりひろげたが、1858年に Managua が首都と決まり、その抗争に終止符がうたれた。


グラナダの名前の由来

ニカラグアのグラナダの名前の由来はスペイン南部のグラナダで、十五世紀にイベリア人(今のスペイン人)が奪回するまで、 モーロ人と呼ばれたアラブ系の民族が約500年にわたり支配していた。 ザクロはペルシア(今のイラン)が原産地なので、もともとスペインにあった果物ではなくて、モーロ人がもちこんでグラナダで栽培を始めたようだ。 ザクロは今でもスペインのグラナダで盛んに栽培されているらしい。
スペイン語ではザクロをグラナダと呼ぶ所以である。
ニカラグアでも栽培されていてザクロを好んで食べる人もいるが、コスタリカではまずお目にかからない。


  グラナダ市から 
      アポヨApoyo湖へ 

Granada グラナダの町は面積8624平方kmもある広大なNicaraguaニカラグア湖の湖畔にある。 アメリカの西部でゴールドラッシュが起きた十九世紀には、米国東部の冒険家やならず者がカリブ海側 から San Juanサンファン河を遡り Nicaragua湖を横断して太平洋岸へ着き、船で北上して カリフォルニアまで旅をしたものである。 当時最も悪名高かったのは William Walkerウィリアム ウォーカーという 海賊まがいのアメリカ人で、彼は ニカラグアの国盗りを画策、1856年にGranadaを占拠して 自らニカラグア大統領を名乗ったが、 ニカラグアは中米諸国の援助を得てその打倒に成功、彼は国外へ逃亡する際にGranadaに火を放った ので、町は灰塵と化した。 


国立公園バラオンダには
      鍾乳洞が42もある

グアナカステ県にあるバラオンダBarra Hondaは、1974年に国立公園に指定された鍾乳洞で、広さは22平方qにも及ぶ。  このあたりはおおよそ6千万年前は海底だったところで、地殻変動と海底火山活動による隆起で陸地となったもの。 その当時海底に棲息していた原生動物、貝類、海綿、海藻などが石灰化し、長年にわたり水に浸食されて形成されたのがKarstと呼ばれる鍾乳石である。 今回潜ったのはTerciopeloと呼ばれる鍾乳洞で、照明皆無の暗闇の中を懐中電灯のみを頼りに上り下
りしたが、途中身を屈めてやっとすり抜けられるような
箇所もあって、なかなかの難所である。


  リンコンデラビエッハ国立公園を二分する 
      熱帯雨林と乾燥地帯

リンコンデラビエッハRincon de la Vieja国立公園は、グアナカステ県の海岸地帯から車で1時間ほど行ったところにある総面積140平方qの広大な火山帯で、カリブ海側から吹き上げる湿った空気と太平洋岸側の乾燥した空気がせめぎ合う地点にある。 そのため熱帯雨林と乾燥地の森林が隣接している珍しいところである。 
近年では1966〜70年と1991〜02年に噴火した活火山であり、中腹のあちらこちらで湯煙や沸騰する熱水や泥の池を観察することができる。


カリブ海岸
    プラヤ チキータ


コスタリカとニカラグアの太平洋岸地域は早くから開発が進んだが、カリブ海岸地域は交通の便が 悪かったために、開発から取り残され、今でも大規模なホテルはなく、バンガローかロッジ風宿が ほとんどである。 
道路網も貧弱で悪路が多いが、その代わり 深い森林に抱かれた白い砂浜が 延々と続く。 
観光客もまばらである。かつてバナナプランテーションで働くために主にジャマイカから移住してきたアフロカリビアンが多数住みついたために、音楽はカリプソ調で、
料理もヤシ油を使ったカリビアン風である。


  亀の集団産卵を 
     コスタリカでは アリバダという

ローラ亀のアリバダが見られる Ostional 海浜は約200mあって、下弦の月夜(真夜中に出る月)にしか産卵せず
強い風が吹く月夜を好むが嵐の夜は上陸しない傾向がある。 上陸すると砂浜に深さ40cmほどの穴を掘り、54〜189個(平均80個)の卵を産む。 40〜55日で、体長4〜5cm 体重15〜6g の小亀が孵化し、月の明かりに導かれて海へ向かうが、その間に禿鷹、アライグマ、犬、蟹などの餌食になるものが多い。 成長すると体長51〜78cm、体重33〜52kgになり、雌亀は10歳以上になると年に2〜3回産卵する。 


グアナカステ県のニコヤ半島は
      遠浅で長く美しい海岸線

首都サンホセから車で5時間ほど行くと グアナカステ県にあるニコヤ半島に着く。 海抜はゼロに近い。
かつてはニカラグアと国境を接する農業地帯だったが、今は農業は減ってTamarindo(タマリンド)ビーチ、Avellana(アベヤナ)ビーチなど.........近年は遠浅で長く美しい海岸線を活かして一大 観光ビーチと化しており、アメリカ、カナダ、ヨーロッパのツーリストがやってくるが、それでもビーチは広々としているわりには 人影もまばらで混雑していないのがいい。


  レザーバック(大海亀)のふるさと 
      バウラBaula海洋国立公園

絶滅の危機に瀕しているため、産卵見学の人数を制限し撮影も一切禁止されている。 見学は夜8時から深夜にかけて、ガイドが案内。単独での見学は禁止。 小学生になったつもりで、二列で真っ暗闇の浜をそろりそろりと行進する。 満天の空には無数の星が輝き☆ 打ち寄せる波の音が間断なく聞こえる♪ 産卵場所に着いても、先客がいるためになかなか順番が回ってこない。 最高10人のグループで見る。産卵は3人の生物学者が見守り、記録をとっている。 ガイドが赤外線ランプを照らすと、2メートル余りもの巨大な海亀が後尾あたりから真っ白 な卵を一つ一つ産み落としているのが目に映える。


バシリスクには Green、Common、
   StripedなどのBasiliskがいる

雄には立派なトサカがあり体長は20cmほどだが、尾を含めると60〜80cmに達する。 寿命は約10年。
主に水際の樹木を棲家とするが、水上を走ったり、水中に潜ると 最長2時間水中にいることもできるし、普段は樹木などにへばりついて微動だにしな いが、近づこうものなら電光石火!消え去るところは、忍者さながらのすばしこさである。
Green Basiliskはニカラグアからコロンビアにかけてのカリブ海側の湿地帯に生息する。
Common Basiliskは太平洋側に棲み、色は褐色ないし
オリーブ色で、バシリスクの なかでは一番大きい。
Striped Basiliskは縞模様があり小型でカリブ海側に生息する。


  コスタリカから飛行機で1時間半
Guatemalaの首都グアテマラシティーに着く

Antiguaはグアテマラ空港から車で40分ぐらいのところにあるユネスコ指定の世界文化遺産である。 コロンブスの新大陸発見後36年目の1534年に設立された古都で、250年間にわたりスペインの中米統治府であったが、1773年の大地震に加えて アグア火山大噴火と頂上の火口湖瓦解による洪水のために壊滅し、統治府は今のグアテマラシティーに移転した。


Guatemalaグアテマラ
    マヤの人々

マヤの人々は頑迷な程保守的で伝統に固執する。衣装は部落によって決まっていてそれしか着ないから、衣装を見ればどの村の出身かわかる。彼らの間では彼ら固有のマヤ系の言語を話す。 外部の人とはスペイン語を話すが、訛がきつい。  グアテマラ国民の60%を占める彼らは、スペイン系の社会にはなかなか同化しないので グアテマラの統治は非常に難しい。 ただし、新しい波も押し寄せてきていて、男は普通の服装が多く、若い女性でも一般女性と同じ服装をする人が増え始めている。 それでも日本のように伝統的な着物を着る女性が皆無に近い状態になるところまでは進まないかもしれない。


  コスタリカは観光立国ですから♪ 
     土産店は沢山あります

サンホセ市内にはMoraviaという地区に土産店が集まっていて目ぼしいものは大体ここで手に入ります。 その他、どのホテルにも店があるし、生物多様性研究所や各国立公園、自然保護区などにも店のあるところが多いです。 コスタリカは若者や美人が多いことでも知られる国で、これらの土産店では概して可愛い娘を置いていますので、特に旅行者はえてして買わされる羽目になります。 他の中南米国とはやや異なり、商品には値段のラベルがついていて、ふっかけるということもない代わり、大きな値引きもありません。 沢山買ったり、キャッシュ払いの場合に限り、5−10%値引いてくれる店がある程度です。 その点、割と生真面目で信頼できると言えるでしょう。


コスタリカ 500万年前の化石
    ケツァールの森にて

人類の祖先は500万年以前にアフリカで発生したというから、丁度そのころの貝類の化石。 その当時は中米は海の中にあったので、このアメリカ大陸は南と北に分断されていた。 火山活動による隆起によって中米地峡が形成されたのは300万年前の時代だという。 南北アメリカがつながって動物の往来が始まったので、丁度真中に位置するこの地帯は生物多様性に恵まれている。
世界で唯一の淡水ザメが棲むニカラグア湖も その名残といえる。 もともと海だったニカラグア湖にサメが取り残
されたということになる。


  マタパロMatapalo
          という木

一本のマタパロがある。 どんどん伸びて大木になる。
その周りに一本二本と子供の木が生える。
親株に抱きついて伸びていく。
親株は次第に衰えて〜
やがて中がカスカスになり、生涯を終える。
Matapalo
マタ:殺す
パロ:木


ニカラグアの La Selva Negra
    原生林の山道

朝6時に一人で原生林へ入ったが、まだ暗くて薄気味悪かった。 突如、何者かがわめき走り回る。(ドキン!)
サイノの群れ(7〜8匹いたか?)がテリト リーが侵されたので威嚇をしているのだ。 
一瞬、もときた道へ戻ろうとしたほど緊張。 もう少し分け入ると、今度はバサバサ!という音。 大きな黒い鳥がバサ-ッ!と飛び立つ。 あとで聞くとパボンとのこと。またもやヒヤリとさせられた。 ニカラグアは観光客が少ないから 原生林は野生動物たちのテリトリーになってい
るわけだ。 コスタリカよりも生の経験ができた。


  NicaraguaのEsteliから
    ミラフロールMiraflor保護区へ


  Miraflor保護区はEsteli という町から東へ28q、といっても泥と石ころの山道で、四輪駆動車 しか行けない山中。 大きな水溜りがいくつもあって、清水の舞台から飛びおりる気概で突っこむ。泥んこのところでは、四輪駆動でも車輪が空回りした。 ....というわけでたった28q 先へ行くのに2時間以上もかかった。 途中 出会った車は10台そこそこ、歩いている人も少ない。


ニカラグア
   Boacoの牧場

Boaco の町は首都マナグアから車で3時間ほど行ったニカラグア湖の近くにある牧畜の町である。 牧場主はまだ暗い早朝4時ごろ、ピックアップに自分の子供を乗せてデコボコの山道を牧場へ向かう。 途中で馬にまたがってそれぞれの牧場へ向かう牧童が通り過ぎる。 周りには黒いシルエットの森林が深々と眠り、猿の咆哮が遠くに聞こえる。 牧場の入り口を開けて中へ入ると、まだ薄暗い柵のなかに大きなブラマン牛が数十頭うごめき、すでに若い牧童が黙々と乳搾りに励んでいる。
幼い牧童の子供もけなげに乳を搾る。  


  Tortillaトルティーヤは......
     とうもろこしパン

中米とメキシコの人たちには トルティーヤが欠かせない主食、いわば日本や東南アジアのお米のような食物です。 原料はとうもろこしで、太古の時代から先住民のインディオが栽培し、コロンブスの新大陸発見後に世界中に広まりました。 このとうもろこしを乾燥し臼で叩いて挽いた粉に水を加えて手でこね、手にのせてパンパンと丸く仕上げ、鉄板の上で薪の火で焼いたのが、トルティーヤというとうもろこしパンです。 もっとも最近は工場で機械生産されたトルティーヤが大量に安く出回っていて、ハンドメードのトルティーヤにありつける機会は少ないのですが、ふっくらとして熱々で 独特な香りのする手作りのトルティーヤは田舎の味ともお袋の味とも言えます。


Osa半島とCano島の
     自然をたずねて

一泊したSan Josecito(サン ホセシト)は オサ半島にある Corcovado(コルコバド)国立公園 の中にあり、パナマに近い。 ここの自然はもっとも原始の形で保存されている。 カーニョ島は海岸から18qのところに浮かぶ孤島、自然保護区としてよく保存されていて、ホテルなどの建造物は皆無である。 警備隊の宿泊所が唯一の家屋で、あとは深い森林に覆われている。 観光客も少なく、自然を堪能できる。 気温は30〜33℃で、それほど暑くは感じない。 鯨とイルカはこの付近まで南極から北上
する。熱帯魚も豊富で鮫も多い。


  Dominicalドミニカル海岸の
           河口近くで...

陸地に立って河口を見ていると.............
十六世紀初頭の先住民インディオに思いを馳せる。
コロンブスが新大陸を発見したのを契機にここDominical海岸にも スペイン人が大挙して 押し寄せるようになった。 海岸はジャングルなので 河口から内陸に侵入してくる白人を 驚きの目で窺うインディオ達になった気持ちになる。


Neotropico財団の
   ティリンビナ自然保護区

もともとはベルギー資本がこの森林を自然保護の目的で買い取りました。 そして動植物はもとより 蝶々・昆虫など、一切の持ち出しを禁止したのです。 コスタリカにはこの種のプライベートな保護区が100以上あります。 国内の私有地で農業や牧畜開発が無制限に進むのを食い止めるために、公的・私的資本を 募って土地の買い取りをしたもので、今も買い取りの候補地がいくつもあげられています。 それでも一方では不法伐採、不法狩猟、焼畑農業、牧場開発により、保護区が侵食されているのが
実情で、自然保護がいかに複雑で難しい仕事かがわかりますね。


  PumaとJaguar の保護施設を訪問

 最近は野生動物をマスコットとして飼うことは法律で禁止されており、違反す ると罰せらるためにこの施設に引き取ってもらうケースが増えている。
施設では獣 医が診察の結果、必要と判断されれば手術も施す。  長年過酷な環境で飼育されてきたために、ストレスと病に侵されているものが多い。
回復するまでの間は檻の中で 暮らすが、野生生活に耐えうると判断される動物は、 より広いスペースに放たれウサギ やネズミなどの捕獲を学習する。


Nicoya半島のPaqueraにある
    Profelis山猫レハビリセンター

Profelis山猫レハビリセンター(ベルギーの自然愛好家の ドネーションにより維持)では 主にマスコットであった個体(マーゲイ、オセロット、ジャガランディなど)を引きとって、レハビリの 結果、適応力があると判断されれば自然に帰す活動を行っている。  PumaとJaguarは大型で獰猛なためこのセンターでは手に負えず、受け入れていない。 人間の開発による犠牲者は常に野生動物であり、その絶滅によりエコシステムが崩れ、人間の環境も破壊されていくことを実感する。


  Puerto Viejo プエルトビエッホの朝

前はカリブ海浜、後ろは熱帯雨林で 早朝、ロッジのすぐ裏まで来る サルの咆哮で目が覚める。

ロッジの廊下をカエルが散策。
早朝の空をオロペンドラの群れが飛び交う。
ロッジの前の道を通る人も自転車もまばら。
この海の町にはヨーロッパ人で長期逗留している人々が沢山いる。 そんな人々を泊める小さなロッジが散見される。 別荘らしき家構えもちらほら見える。


Nicaraguaの要塞:エルカスティーヨ

時は十八世紀-日本はまだ江戸時代
ここ ニカラグアは当時はまだスペイン領。

また イギリスの勃興期でもあり・・
スペインの凋落が始まる頃でもあった。

英海軍はこの美しいサンファン河を中米侵略の足掛りにして カリブ海側から船で波状攻撃をしかけてきた。

そのためスペインの総督府は堅固な要塞を
ここエルカスティーヨの地の小高い丘に構えた。


  Slothrescue Center
   ナマケモノ保護センター

孤児になったベビーを保護して育て 野生に返す民間の保護施設がある。
孤児とは・・親が車に轢かれて死んだとか、銃で撃ち殺されたとか、悪いやつに叩かれて瀕死の重傷を負ったとか、いろいろあるようだ。  動物は子供を虐待したり、捨てることはまずないのでね、人間様と違って・・。
一般的に3本指は穏やかで、2本指のほうが少し気が荒いと言われている。


Corcovado国立公園 65q踏破の旅
     炎天下を歩く歩く歩く

OTS(熱帯雨林研究機関)のイベントで参加者は総勢約30名。 日程:2004年1月7日〜11日。 Osaオサ半島の大部分を占めるコルコバド国立公園の面積は 約425ku、広大な原生林に覆われていてほぼ無人といっていい。 総歩行距離数:約65q。 まず、Dulce(ドゥルセ)湾側の La Palma(ラ パルマ)から太平洋岸へ横断。 細い山道しかなく、渡河すること5回(リラ色の線をたどる)、横断 時間は8〜9時間にもなる。


  パナマの “Bocas del Toro群島” への旅

パナマ運河で有名なパナマのカリブ海側に散らばる 100以上の群島からなるBocas del Toro(ボカスデルトロ)は、500年前にコロンブスも上陸したことがあるカリビアンの楽園、と言っていい。  パナマシティーからの道路網もコスタリカ側からのアクセスも不備なので、観光客はまだ限られている。  そのため手つかずの無人島や熱帯雨林も多く、この地方固有のカエルや鳥類も生息する。  また珊瑚礁が多いので、海中ではきらびやかな熱帯魚が乱舞する。  島々では先住民のインディオと、バナナプランテーションの労働者としてジャマイカから移住してきたアフリカ系黒人、そしてスペイン系の人々、さらにはパナマ運河の建設労働者として移住後定着した中国系の人々が混在しており、まさに人種の坩堝だ。  ここの交通機関は小船とボートであり、陸上ではまだ車も少ない。


絶滅の危機に瀕する中南米のカエルたち

コスタリカの熱帯雨林の一つ Monteverde にしかいなかった Golden toad(黄金のカエル)は、 1989年を最後に姿を消したが、長年その原因が謎とされていた。 それ以降スミソニアン研究所などの生物科学者が研究を積み重ねた結果、水中で繁殖する カビ Batrachochytrium dendrobatidis がカエルの皮膚に付着して病原菌に対する抵抗力を弱めることが分かってきた (その学術調査がイギリスの雑誌 Natureに発表されたという)。 地球温暖化によりこのカビが繁殖力を強めているのではないかとの疑いももたれている。 


  湿原に生える Palo Verde の木

この湿原には“Palo Verde”という名の木が茂っていたのでパロベルデ国立公園という名がついた。 かつてはイギリス人がこの湿原を買い取って牧場にしていたのを、野鳥保護のために国が買い戻したもので、まだ完全には修復できていない。 しかしそのおかげで水鳥や渡り鳥が舞い戻るようになった。ただ、周囲には水田があり、野鳥が侵入するので 農民とのいざこざが絶えない。また稲作に使う農薬や殺虫剤が湿原を汚染しているとの報告もあり、 住民、農民、水鳥の間で貴重な水資源の分配についての調整が課題となっている。   


快晴のPoasポアス火山

雨季にしては珍しく快晴でカルデラ湖をキャッチできた。 大きな火口が二つある。 カルデラ湖のあるこの火口は直径1.5q、深さ300m。カルデラ湖の水は硫酸。 火口の向こう側の煙は雲で、手前と右側に見える噴煙は硫黄ガス。 酸性雨が降るので、樹木が枯れたり、農産物に被害がでる。 最近の噴火は1888年〜1895年、1903年〜1912年、1952年〜1954年。 現在も活火山。
Botosボトス湖は火口の外側にある 高度2700mの湖。
直径400m、深度14m。 ポアス火山:標高 2704m。
(コスタリカの地震:2009年1月8日震源地:ポアスPoas火山東へ10km、深さ6kmLapazの滝被害状況)  


  野兎やネズミなどの小動物、
     爬虫類や魚を捕まえて食べる

Nicaraguaニカラグアのホテルで飼われていたOcelotオセロット。 説明書によるとペットで飼われていたものを引き取ったのだという。 一度ペットにすると、野生には戻れない。 野に放しても戻ってくるという。 だからペットにはしないで.......と書いてあった。 ペット愛好者がいかに自然破壊に加担しているかがわかる。 毛並みの美しさから、毛皮やペットとしての需要が高く、密猟の対象となっており、 加えて森林伐採などの環境破壊により 絶滅の危機に瀕している。 体長:55〜100cm、体重:9kg〜15kg、夜行性。


Guatuzaグアツサを抱く
    Kekoldi保護区の少年

コスタリカの原住民は自然との共生が生活の基本。狩猟はするが乱獲はしない。伐採はする が、必要以上に切り倒さない。 Bribriブリブリ語と学校で教えるスペイン語を話す。 ケコルディインディオ保護区は山岳地帯にあり、貧しい生活をしている。 自分たちの生活習慣に固執して、同化を拒絶してきたが、近年やっとコスタリカ 国民としての意識が芽生え始めた。国も先住民を保護するために、白人が彼 らの住む保護区を侵害しないよう監視している。 マヤ族、アステカ族、インカ族などと同じく、数万年前にベーリング海峡を渡っ て、シベリア方面から到来したというのが通説となっている。いわば、われ われの遠い親戚と言える。


  Roble sabanaロブレサバナの花
    別名:コスタリカ桜とも・・

毎年2月になるとサンホセのメインストリートの街路樹Roble sabanaが 一斉にピンクの花を咲かせて町に彩をそえる。 しかも、はかない日本の桜と違い、一ヵ月ぐらい咲き続けるパワーがある。 遠くから見るとあたかも日本の桜を思い出させるので、在留日本人の間では  “コスタリカ桜”と呼んで親しまれている。 花びらは大きく長いので、英語では“トランペット ツリー”と呼ばれる。 また、Roble sabanaは エルサルバドルの国花で、Maquilishuat(マキリウア)と呼ばれている。 成長すると20〜25メートル余りにもなり、建材としても使われる。


サラピキ地方への旅
  久しぶりのジャングルツアーだ

コスタリカは雨季だがこの地方はそれほど降っていなかった。 ただ実に蒸し暑い! サラピキSarapiquiの熱帯雨林の気温は 30℃〜33℃、湿度は80%前後と高く蒸し暑いのだ。 サラピキ河畔のPuerto Viejoにある Estacion Biologica La Selvaのすぐ近くのホテルに二泊する。 食事つきのホテルで食べ放題のバイキング! このホテルの一階は湿気が多いため高床式になっていて、客室は二階にある。 木の階段を上り下りする。 床も壁も木造りなのがいい感じ・・。 部屋を出てベランダから庭園を見下ろす風景は鬱蒼とした森で、そこにイグアナが寝ている.....いろんな鳥がやって来る......。 このあたり一帯は自然保護区になっている。 ホテルそのものが河畔の森の中にあり、自然を満喫できる素晴らしい環境にある。 


  Guayabo遺跡は
    コスタリカのナショナル モニュメント

Turrialbaの町からトゥリアルバ活火山(3328m)の頂上へ向かって 悪路を20qほど上った雨林の中に、グアヤボ遺跡がある。 このあたりには紀元前から原住民が住んでいたようであるがもっとも栄えたのは11〜12世紀ごろと言われている。 現在 遺っているのは石を敷き詰めた道や石の水路などで、金細工などの焼物は主にコスタリカ国立博物館に保管されている。 その他外国へ運び去られた遺品も多いようだが、詳しいことはなにも分かっていない。


Tenorio火山国立公園は
  パンアメリカ ハイウェーから北へ58km

テノリオ火山は標高1916m、地下活動が活発で絶え間なく温水が湧き 煙が噴き出ている。この火山を訪れる人は少なく、土地のガイドがトラックで頂上付近まで案内してくれるが、すれ違う人もない。そのあたりまで行くと硫黄を含んだ コバルト色の川が深い森の中を音もなくゆっくりと流れ、硫黄の匂いが漂う。沐浴をしている人は見かけない。そこから少し下ると滝の音が聞こえる。冷たい水がどっと流れ落ちていて、ここの滝壺では若い男女のグループが水浴びをしていた。 この滝の水は銅を含んでいるせいで滝の岩肌が緑がかった色合いを見せている。 火山の麓にあるMaleku保護区には新大陸発見のはるか数千年前から住み着いているインディオが、今も祖先伝来の信仰を守りながら細々と暮らしている。


  年末歳時記_
      コスタリカの闘牛 トロ

ここサンホセでは毎年年末になると、中心地の大通りで光のフェスティバルとトペという騎馬の行列が繰り広げられ、大勢の観客で賑わう。 クリスマスが過ぎると、今度は年明けまでZapote(サポテ)にある闘牛場で闘牛が見られる。 スペインの闘牛らしきものもあるにはあるが、ほとんどは戯牛とでも言おうか、トロと呼ばれる勇猛果敢な牡牛を相手に大勢の若者が戯れるもの。 トロは殺さないどころか、逆に毎年一人か二人はトロの角でひっかけられたり 突かれたりしてあの世行きになる。  それでも闘牛中止の声があがらないのは、この国でもスペインから伝わる文化が深く根づいているからに違いない。 


9月15日はコスタリカの独立記念日・・

中米5カ国がスペインから独立した日、すなわち建国の日で、国の隅々で独立を祝うしきたりがある。 旗日で学校は休みだが生徒は自分たちの学校に集い祝典に参加してから国旗を掲げ、打楽器の楽団を従えて町中を行進する。 
独立は1821年だがコスタリカでは独立戦争はなく、他の中米国が独立宣言したときに同調したので、独立はかちとったのではなく、他国から与えられたものであると言い伝えられ、学校でもそのように教えられる。 
軍隊のない平和国家コスタリカの源泉はこんなところにもあるのかもしれず、おっとりとしていて保守的で、激しい自己主張と議論を好まないところは日本人の国民性に似通っているかもしれない。


  コスタリカには先住民を保護する
   インディオ居住区が沢山ある

しかし、16世紀にスペイン人が征服者として渡来して以来、中南米はどこも先住民略奪の歴史だった。 
コスタリカも例外にもれず、白人に土地を奪われた彼らは深い森林の奥深くに追いやられた。
インディオたちは自然を崇め、土地は共有で私有制はなく、狩猟も 農耕も最低限の生活に必要な量だけ捕り 作るので、コスタリカは18世紀ごろまでは深い森林におおわれていた。
20世紀終わりごろになって、やっと土地の一部を彼らに返し、彼らの人権を認める措置がとられたが一部のインディオは頑なに彼らの因習を守り続けている。
                     (Tenorioテノリオへ戻る)


Macaw は一生の契りを結ぶ純愛の鳥♪

近年 ペット用の乱獲と大木の伐採が進み、個体数が極端に減少した。 Scarlet(赤)マコーは必死の保護策が功を奏して徐々に増えつつあるが、緑のマコーは回復せず、数えるほどしか残っていない絶滅危機種である。 
マコーは一生の契りを結ぶ純愛の鳥であり、カップルが共同で卵の孵化と雛の養育に当たる。 
体長84cm、体重900gの巨大な鳥が常につがいで鳴きながら Corcovadoなどの海岸線の上空を飛翔する様は圧巻。  
安易なペットブームが野生動物の種の保存を脅かしていることを忘れてはならない。 


パロベルデ国立公園の
    カリブランカザル(白顔猿)

主に乾燥地の樹木に棲む1.8-4kgの小さいサルで、
俗称カリブランカザル(白顔猿とも)という。 
咆哮ザル(風体は真っ黒で大きく、咆哮声も大きいが 大人しく平和な猿)に比べると 体は小さいが、賢く攻撃的で、人を見ると威嚇する。 
5〜36体のグループを組んでボスザルを中心に生活し、激しい縄張り争いをする習性があり、時には血なまぐさい殺し合いに 至るほどである。 
コスタリカではグアナカステ県の海岸地帯の森林に多く棲んでいる。
 


ここは・・国境の町 Los Chiles・・

コスタリカの北端はニカラグアと国境を接しており、 国境の町 Los Chilesロスチレス からは道路もない奥地 なので、国境を越えるにはボートで行くしかない。
税関も藁葺きの掘っ立て小屋。 
国境を越えて30分ほども河を下ると、 琵琶湖の12倍もあるニカラグア湖にたどり着く。 
このあたりは 熱帯雨林あり、沼沢地あり、大きな 河と湖ありで、ワニ、カイマン、イグアナ、亀、オオ トカゲ、それに様々な珍鳥が棲んでいて、さすが に観光客はまれ・・
 


ポロが咲く季節の1月〜2月、
  首都サン ホセ周辺はオレンジ色に染まる・・

ポロは僕が知っているだけで4種類ある。 このジャイアントポロは1〜2月が花盛りで大きい木は20m余りもある。 燃えるようなオレンジ色をしていることから森の炎とも呼ばれる。  その他、とがったオレンジ色の花をつける ナイフポロはよく農園や牧場 の垣根に使われる(樹高は7〜8m)。 ランやブロメリアを着生させるポ ロもある。 その花は激しく真っ赤な色をしている。 また、黄色味を帯びたポ ロの花もあり(樹高は10m位)、花の形が小船のように見えるので小船ポロと も呼ばれる。 オレンジ色が消えるといよいよ Roble sabana コスタリカ桜の季節がやってくる。


ぶんぶん飛ぶ Hummingbird

アメリカ大陸に棲む10cm前後の小さい鳥で、色彩は多種多彩、330種がおりコ スタリカでは58種が確認されている。 
羽ばたきは一秒間30回に達し、前後左右に自由自在に飛ぶことができる。 熱帯雨林では夜間に下がる温度に合わせて、その体 温を28〜17℃にまで下げる。 
昼間は常時飛ぶためのエネルギーを補充するため に、間断なく花の間を飛び回ってその蜜を吸わなければならない。また自分のテリ トリーを守る習性がある。


  コスタリカの雨季・・

サンホセ地方では、4月末に始まる雨季は12月初めまで続く。 カリブ海側では年中雨が降るが、この時期は逆に雨量が少ない というところが生物多様性を生む一因でもあるようだ。 土砂降りの日もあり、小雨模様の日もあるが午前中は晴れていて 正午を過ぎると降り出すというのが大体のパターン。 時にはとてつもない雷鳴をとどろかせるので、コンピューターや テレビがぶっ壊れないように、あわてて電源を切るのが習慣になっている。 しかし熱帯雲霧林では乾季でも小雨が降るか霧がかかっているので、 雨季と乾季の差がサンホセほどには大きくない。


タルコレス河のオオワニのはなし・・

Tarcoles河のオオワニの大きさは頭からシッポの先までじつに 4〜5mもあって大きい、大きい! ここは Tarcoles河の下流の海に注ぐ手前、太平洋側の海岸がすぐ近くにあるところ・・。標高は ゼロメートル地帯にあり、気温は年中35℃ 以上。このあたりには巨大なワニが沢山いるという。カイマンはいない。ワニがカイマンを食べてしまうそうだ。観光としてワニサファリのボートも出す。水浴びしていたり、河を泳いで渡ろうとして 食いつかれたり という事故もあるという。しかし今はワニが観光資源だから保護し 大切にしている。


  先住民が遺した翡翠の装身具や祭具など

日本でも古墳時代の翡翠勾玉(まがたま)は三種の神器として有名で、祭具として使われたという。 主に新潟などの日本海沿岸で採石された。
古代中国では翡翠は最も高貴な玉石として珍重された。 
メキシコとガテマラのマヤ族も独特な意匠の翡翠装身具と祭具を多数遺しており、見る者の目を飽きさせない。 
ガテマラでは、今でも良質な翡翠の原石が大量に採掘されている。 コスタリカでもマヤ文明の影響を色濃く遺した翡翠装身具や祭具などが多数“翡翠Jade博物館” に陳列されている。


“トムソーヤの冒険”の著者マーク ツインも
オメテペ島を訪れ 旅行記を書き残している

広大なニカラグア湖(8624ku)に浮かぶ Ometepe島(276ku)には新大陸発見前にはメキシコのアステカ族の 血をひくナウアットNahuatl 族が住んでいた。
Nahuatl 語でOmeは2、tepeは山、を意味する通り Concepcion火山(1610m) とMaderas火山(1394m)が聳える。 スペインによる征服、その後のイギリスの侵略を 経て、19世紀に起こったカリフォルニアのゴールドラッシュ時代には、アメリカの山師たちが東岸からニカラグアまで船で南下し サンファン河をのぼり Ometepe島を経て太平洋岸に出たあと、カリフォルニアまで船で北上した。 そのため、パナマ運河の建設が始まる前には、このルートに運河を作る案が優勢だった。


  Wilson植物園から東(カリブ海方面)
   を望む.... 南(右手)がパナマ方面

前方のタラマンカTalamanca山脈には3500m級の高峰が聳え、コスタリカ最大の La Amistad国立公園(1950ku)があって、パナマにもまたがる広大な 自然保護地帯(合計4000ku)。ほとんどが未開地域で、なかには今も新大陸発見以前の生活習慣を守るインディオ保護区がいくつもある。400種類以上の鳥類のほか、プーマ、ジャカール、オセロットなどの野生動物が多数生息する。1983年にはユネスコにより世界遺産に指定された。


幸せな “ティランジアたち”

ニカラグア北部、標高:1000mの寒村 アンティグアCiudad Antigua では 驚いたことに ティランジアTillandsia(ブロメリアの仲間)がワンサカ 電線に群がっていた!村人たちは 十六世紀の侵略者イギリスの海賊モーガンMorganがアフリカから連れてきた黒人奴隷の末裔 (まつえい)で、みな 素朴で人懐っこい。電線は掃除されるでもなく ティランジアたちは村人と共存し、風景の一部とな っている。高温だが、風が吹き抜けるので、気持ちよさそうに安住し、繁殖して いる、十六世紀建立の教会の鐘の音を聞きながら・・・。


  カリブ海のアフリカ系黒人

20世紀に入るとイギリスとアメリカの企業が中米 のカリブ海岸地帯に大規模なバナナプランテー ションを展開、労働者をイギリスの植民地であった ジャマイカで募集したため、多数の黒人がコスタリカ のリモン地方に移住した。中央台地のスペイン系 白人とは全く異なる人々で、カリビアンイングリッシュ を話し、カリプソを歌い、パームオイルを使った料理 を食べる。 つい最近まで人種差別があり、黒人は サンホセには近寄れなかったが、現在はその壁も取り 払われ、各界で活躍する黒人も出始めている。


先住民 インディオの金細工 “禿げ鷹”

支配階級の墳墓から発掘された。 コロンブスのアメリカ大陸発見以前の時代....プレ コロンビア時代という。 六−七世紀 から十五世紀の遺物。 その当時の金細工はスペイン人が略奪して溶かしてしまったので、ほとんど残っ ていないという。彼らは金そのものにしか関心がなかったから。 この模様の装身具はコスタリカの先住民の特徴で、禿げ鷹だという。 禿げ鷹は動物の死体を食べるから、宗教的に彼岸とのつながりのシンボルらしい。 また、金は支配階級の権力のシンボル。 全般に動物の模様が多い。禿げ鷹、ジャガー、蛇、猿、蛙、ツカン....... 見ていると当時がしのばれて面白い。(コスタリカ博物館所蔵)


  Greta グレタ という名の透き通った羽の蝶
    体長は29〜30mm位

一般的に蝶と蛾の違いは  
1.蝶はきれいだが、蛾は汚くて、気持ち悪い。
2.蝶は昼間花の蜜などを吸っているが、蛾は  夜、灯りに向かって飛んで来る
3.蝶は羽を閉じてとまるが、蛾は羽を広げてべタッととまる。
4.蝶の幼虫は青虫だが、蛾の幼虫は毛虫だ。
などと言われていますが 必ずしもそうではないようだ。


La Paz ラパス自然保護区にて・・
ハミングバードが ぶんぶん 飛んでいた!


Hummingbirdは休みなく飛んでいるように思いがちだが、こんな風にゆっくりと休憩するひと時もあるんだよ! 大きさは 10〜13p、くちばしの3倍もある長〜い舌で花の蜜を吸う。 後方に飛べる唯一の鳥。 ホバーリング 1800回/1分。 また夜は体温を27〜28℃に下げて仮死状態で眠るという。 ラパス自然保護区は Poas火山の東側にあり、 標高1,400〜1,500mほどのところにある。 昼間の気温は 27〜29℃くらい。


  高地の熱帯雲霧林には1年中
    霧や霞がかかっていて幽玄そのもの・・

少し歩くと体がびしょびしょに濡れるほど。 ヤドクガエルはそんな雨林、霧林の落ち葉の下などに隠れて棲んでいることが多いんだよ。 毒をもっているカエルで確認されているのは、100種類以上いるカエルのなかで、 7〜8種とも、9〜10種とも言われ、大変 希少なんだ。
近年Monteverde に生息していた “Golden toad:黄金色のヒキガエル” が数年前から見られなくなってね、絶滅したのかもしれないと言われているんだ。


“ Motmot モットモット ” という名の美しい 
   鳥にニカラグアの山中で会えたよ!

まるでボクに、こんにちは!と言ってくれているようだった! 尾が長くて全長30cm以上ある。 尾は真ん中で二本の細い線になり、先っぽでまた尾の形になる、昔あった小型飛行機のような。 密生した森林の樹木の間を敏捷、かつ たくみに飛び交う。 コスタリカには6種の Motmotがいる。 乾燥低地を好む。 警戒するときは、長い尾を振り子のように前後に動かす。 ペアーは一生相手を変えない......そして土中に巣をつくる。 Motmotは Nicaraguaの国鳥、ニカラグアではグアルダバランコといい、コスタリカではボボと呼ぶ。


  “ナマケモノ” との遭遇・・・ INBioにて

こんな風に枝を渡り歩く。 地上へ降りてくることはきわめてまれで、 しかも今日みたいに良く動くこともめったにないんだ。 毛深いので、体の線はぜんぜん見えない。
このナマケモノくんは 3本指で、昼行性。 
“2本指のナマケモノ”もいて夜行性。 いずれも草食。このときも好物の“グアルモ” の葉をムシャムシャと食べていたよ。 真下から撮っていたので、首が痛いのなんのって! 身長 60cm前後、 体重 3.5kg 〜5kgくらい、意外と軽いのよ。


サンカルロス河・・
  下流にサンフアン河がある・・

この河は サンカルロス河
乾季でこれだから、雨季に入ると洪水になる。
3mは水位があがるのではないかな。

ポアス方面から流れ、ニカラグアとの国境近くを流れる
大河サンフアン河に注ぐ.........そしてカリブ海へ。
ロスチレス村を流れる河はリオフリーオで、この河は
ニカラグア湖に注ぐ.........
いずれも 国境に向かって流れている河。


  コスタリカの珍鳥 “ツカン” 
   ニカラグアとの国境付近の大自然の中で

夜10時を過ぎると山小屋風のロッジの灯りは消え、月明かりだけ。  目が慣れると、山や木々の姿がくっきりと浮かび上がってくる・・・。
一晩中、カエルと虫の合唱が賑やかで、夜明け前 4時ごろから、 様々な鳥の鳴声がしてコンゴーザルの野太い遠吠えの声が加わる。 
他にはなんの音も聞こえない...........

早暁5時前に撮影したから あたりがまだ暗い。


愛らしい毒ガエル

昼は眠っていて、じっとしているが、 なにか気配がすると赤目を開く。大きさはほんの2〜3cmの可愛らしさ。 おどしたり、いじめたりすると、毒を出す。
そっとしておけばおとなしくじつに可愛いカエルです。
*人間が珍しがって捕まえて飼ったりするので、今、
絶滅の危機に瀕しています。
名前:red-eyed leaf frog (赤目の緑ガエル)
学名:Agalychnis callydryas カリドリアス


  もうボクたちを食べるのはやめて、ネ!

恐竜の生き残りと言われているイグアナ。ところによってはそのオスを“ガロボ”と呼ぶ。木の上、岩の上でのどっしり構えた威容は、亜熱帯の河の“大王”といえる。敵を威嚇するときは、顎の下の袋を膨らませ バサッバサッという音が聞こえるくらいに頭を激しく上下に振る。この姿は実に迫力満点!今にも噛みつかれそうな気がするんだ! しかし、その威容とツラ構えに似ず、菜食主義者の小心者で臆病者。きっと先祖代々肉食動物と成り果てた人間に殺されて食べられたからなんだろうね。 見かけ倒しというやつかな?それだけに憎めない奴だよね!


“マンサナ デ アグア” は  
   花も実も濃いピンクで美しい・・

去年の大晦日の朝、庭を散歩していて ふと、何気なく上を見ると、ピンクの大きな花がたくさん咲いていた。  以前送ったが、まるで鳥が梢にとまってるみたいに成っていた あの マンサナ デ アグアの花。  
・・ということは 自然の二毛作か?
これから雨季に入る。そしてどんどん実が大きくなっていく。春たけなわといえる。


  いつ、どこで見ても・・ ブロメリアの
    環境適応力には脱帽!

日中は35度以上にもなる このカリブの低地でも ブロメリアが元気はつらつと生きていられるのはね、 涼しい木陰と80%以上の湿度があるからなんだよ。  
標高3500メートルの涼しいラムエルテ(La Muerte)峠にも、また海抜ゼロメーターの熱暑のドミニカル Dominical海岸にも、 そしてこのカリブ海側の熱帯低地にも生息していて、 しかも生き生きとしているんだよね。 つまり、自然とともに生きているんだよ。
  


サンフアン河畔にある
     ロッジからの眺め・・

サンフアン河は川幅が100m近くある大河。
インディオ マイス自然保護区にあるバルトラの原生林に 山小屋風の木造のロッジがあった。 周りには河と森林しかないせいだろう、逗留客はゼロで、従業員2〜3人がなにをするでもなく、 ポケ〜ッとしていた。
サンフアン河の悠久たる流れのリズムと調和するね。
ときたま予約が入れば、部屋を掃除して、エルカスティーヨの町まで行って、食材を手当てするという 悠長さ。蚊が多いから昔懐かしい蚊帳がつってあった。 部屋には蛇やさそりが出現するという、くわばら、くわばら。 これはそのロッジのロビーとでも言おうか、パルマ(棕櫚)葺きの小屋。
 


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