パ ナ マ 運 河 を 行 く 

パナマシティーは近代都市        オリジナルは
こちら  〈エッセイ:パナマ運河を行く〉 MAP

 パ ナ マ 運 河 を 行 く
パナマ運河は 太平洋岸側から大西洋岸側まで約80kmあり、10時間近くかけて60〜70人乗りの小型船で 横断したが、ほぼ100年前(明治時代末)に完成した人造湖と建造物であるのに、そのスケールの巨大さと 当時の アメリカの土木技術のレベルの高さには目を見張らせるものがある。
しかも運河は当時の状態のまま使用され続けているという。 また、運河の両岸は開拓をほとんど認めないため、 今でも深い熱帯雨林に覆われているのも印象的である。

1848年(江戸時代末)、アメリカがメキシコから買収したカリフォルニア州で金鉱が発見されてゴールドラッシュが 起き、西部開拓者と名乗る多数の冒険者が東海岸からニカラグアのサンファン河、或いはパナマ地峡を通って 西海岸へ渡った。
この米国内の要求で最初に出来たのが、1855年に完成したパナマ地峡横断の鉄道だが、運河建設計画は ニカラグア、パナマ、メキシコの3案があって、最終的にはパナマに決定、そのため当時はColombia領であったパナマ を1903年にアメリカが独立させた経緯がある。
現在パナマの通貨が 米ドルなのはそのためである(国の正式通貨はBalboaだがコインしかない)。

運河の所有権と管理は アメリカ側にあったが、1999年末にやっとパナマに返還された。
スエズ運河では船は水平に移動するだけだが、パナマ運河では、まず船を海抜26メートルのところにある人造湖であ る Gatunガトゥン湖に引き上げた後、再び海抜ゼロまで下ろさなければならない。

フランス人技師レセップスは 丘陵を掘削して大西洋と太平洋を結ぶ案(大西洋と太平洋の水位は同じ)を持っていたが、 余りの難工事(事故とマラリアと黄熱病……野口英世博士は当時その研究で成果を上げ一躍有名になった……により22000人の労働者が命を失った )と莫大な費用のため工事を投げ出さざるを得なかった。

後を引き継いだアメリカは 丘陵の上に広大な人造湖を造り、湖の水を利用してあたかも船が階段を上り下りして移動 する方法に変更し、1914年に工事を完成させた。

パナマ地峡は 熱帯雨林に覆われているので 非常に雨量が多く、そのため Gatun湖には常時膨大な水量が貯えられている。 農牧開発のために森林伐採が進むと運河の運営に支障をきたすことになるので、パナマ政府は常に監視の目を光らせていなければいけない。


  パナマ運河MAP    運河詳細見取図    運河拡張工事予定図   〈パナマ運河を行く〉


     ページTOPへ