<コルテス> <マリンチェ>

コルテスとマリンチェ 二つの花にまつわるエピソード

モクテスマ王とコルテス
 アステカ民族の間では、ある日突然白馬にまたがった人が現れると、救世主であるという
 言い伝えがあったので、コルテスは白馬に乗ってモクテスマ王との会見に臨んだ。
 Moctezuma王は Cortezを丁重にもてなし、金銀の贈り物を与えたとされる。
 コルテスの軍勢は少数だったので、武力ではなく巧みな謀略でアステカを征服した。
 Malincheの存在が いかに大きかったかが分かるというものだ。

 当時 今のメキシコシティーは沼地だった。
 ピラミッドが島の中に聳えていたことになる。
 スペインの征服者たちはこの沼地を埋めて 新しい町を構築した。
 今でも地下鉄工事で、アステカの町や建物の遺跡が発掘される。
 また埋立地で地盤が軟弱なので、地震の被害が大きいという問題がある。
 Moctezuma王の遺恨かもしれない。
 初めてメキシコを訪れるほとんどの外国人は メキシコシティーが標高:2200メートル余りの
 高地にあり気圧が低いため、消化不良を起こしやすい上に 唐辛子のよく効いた辛いメキシコ
 料理を食べて下痢を起こすので、メキシコ人はこれをモクテスマ王の仕返しと呼んでいる。


アステカ帝国とマリンチェ    
 アステカ帝国は今のメキシコにあった。当時中米は僻地でその属国みたいなもの。
 スペイン人も先ずメキシコを征服したあと、中米へも侵入して、その支配下に治めた。
 それもニカラグアまで。コスタリカは遠いし、金銀ほかこれといった資源がなかったので、
 その開発はずっと後になる。それくらい 片田舎だったわけだ。
 マリンチェはメキシコにあったアステカ族の女性。
 有名なテオティウアカンのピラミッドもアステカ族の遺跡。

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